
上野の東京国立博物館エリア内にある「法隆寺宝物館」は、明治11年(1878)に奈良・法隆寺から献納された宝物300件あまりを収蔵・展示している施設です。
明治維新後、廃仏毀釈の風潮で全国の寺社はズタボロの状況。
そんな中、法隆寺は歴史的施設の保持と宝物の逸失を防ぐため、結果的に一部宝物を引き換えにして国から金銭的支援を得たわけです。
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コロナ5類移行後の5月末。東京でのギター展示会が終わった翌々日に法隆寺宝物館へ行きました。

仏像の背後に設置する「光背」は、個体によって洗練度は異なるものの、それ単体でも現代に通用する凝ったデザインが特徴です。

なお、先年私が製作したギターの口輪の元ネタはこれです。3年越しでようやく実物を見ることができました。


高さ30センチ程度の仏像群。配置や個々の照明も整っていて、それだけで静謐かつ荘厳な雰囲気を味わえます。

個々の作品は細工がどれも緻密で、見ごたえがあります。
都合のいい神様なんていないことなど昔の人だって当然知っていたわけで、やはり「人知を超えたい」という人間の欲求や希望がこういう作品群に込められているような気がします。
それにしても、プロテーゼをブチ込んどるんか思うくらい、芸能人なみに鼻筋が通ってますな。

飛鳥・白鳳期の仏像の台座って、大小問わずこんな具合の平面的な布の表現が多いのですが、これは手間をケチったのではなく、台座としての安定感にリアルさを残した装飾性を加えつつ、上半身の作り込みを際立たせる工夫なのでしょうか。(アカデミックな解釈は知りませんが)

なんか既視感のある観音菩薩像だと思ったら...、

最近X(旧ツイッター)で流れてきた猫画像と構図が似ていたのでした。
奈良の法隆寺にも大宝蔵院があり、その他「夢殿」を代表とする様々な建物にも仏像仏具が置かれています。
一方、東京に移動された宝物は比較的小さく、精緻な工芸が冴えわたる逸品が多い印象です。

なお、おなじみ正倉院宝物は渡来文化や工芸を日本人がほぼ体得した時期のものですが、法隆寺の宝物はその約150年前。フレッシュな受容期でありながら、古来からの感性になじむよう研鑽が重ねられていた時期のものといえます。
そういった点でも実に興味深い作品群でした。
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宝物館を出て、いやいや良いものを見せてもらったなぁと神聖な感興にひたっていたら、本館前のベンチに欧米のねーちゃんが白く長い手足をむき出しにして座っていました。

そうだ、コロナ禍は明けたのだ。ありがとう。乾杯。
<以上:明日香弦楽器>